ブランパンってどんなブランド?

ブランパンと日本・世界の機械式時計の歴史

                                    
1551年(天文20年)(約471年前) 
日本での機械式時計は宣教師フランシスコ・ザビエルによるキリスト教の伝来と共に始まったとされています。
現在、当時の時計は存在しておりませんが、
宣教師フランシスコ・ザビエルが来日し、キリスト教の布教の許可を願い出た時に献上した宝物の中に重錘時計又は、小型のゼンマイ時計が含まれていたとの説があります。
日本人が宣教師から時計や天文学を学び、そこから技術が広まっていきました。

1551年は、安土桃山時代、織田信長の父信秀が病死したため信長が家督を継いだ年です。 

                  

現在、日本に存在している最古の機械式時計は、久能山東照宮の宝物として保管されているゼンマイ動力式時打付時計で、1616年(慶長11年)にスペイン国王のフェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康に贈呈されました。
スペイン国王に仕えた時計師ハンス・デ・エバロによって1581年にヨーロッパで製作された定時法を表示す時計でした。
当時日本では不定時法が採用されていた為、時計として使用されることは無かったようです。

写真:重要文化財「洋時計」
出典、https://www.toshogu.or.jp/about/clock/

写真:「サンフランシスコ号乗員遭難救助」松本勝哉 画 昭和58年 御宿町歴史民俗資料館 蔵

「サンフランシスコ号乗員遭難救助」松本勝哉 画                                                                                                                             昭和58年御宿町歴史民俗資料館蔵

1637年には、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆と言われている天草四郎による「島原の乱」がありました。


                                  

日本では、1639年から1854年までの約215年の間キリスト教の禁止を理由に「鎖国」が行われました。江戸時代に入ると外国から輸入された機械式時計を参考に多くの機械式時計が作られるようになっていきました。
しかし、「鎖国政策」は江戸時代の時計作りに大きな影響を与えました。
鎖国をきっかけに和時計が誕生しました。
和時計は時間を人々の生活に合わせるもので、欧米で採用していた「定時法」ではなく「不定時法」(夜明けと日暮れを境に昼と夜に分け、それぞれ6等分する)が採用されました。
昼と夜の長さが季節によって異なるため、それに対応した日本独自の複雑な機構を作り出しました。

1656年(約366年前)オランダでは、「機械時計の父」とも呼ばれる「ホイヘンスの原理」や、土星の環の発見で有名なオランダのクリスチャン・ホイヘンスは、ガリレオの原理を応用し誤差が一日に数分程度の振り子時計を発明しました。

[ホイヘンスの振り子時計です。]

ホイヘンスが製作した振り子時計
出典、https://museum.seiko.co.jp/

1675年 クリスチャン・ホイヘンスは、巻きひげぜんまいのついたテンプぜんまいを発明しました。
このテンプぜんまいに、脱進機を取り付けて歯車の刻みの速さを調整しながら常に動力を供給する機構を作り、これによって、懐中時計が現実のものとなりました。
振り子時計、てんぷぜんまい時計という今日の時計の構造の基礎となる重要な発明をしました。 

[ホイヘンスの巻きひげぜんまいです。]                               

ホイヘンスが発明したと言われているてんぷぜんまい(左右に往復振動をする)

巻きひげぜんまい
出典、https://museum.seiko.co.jp/knowledge/inventors_01/

17世紀後半は、オランダが世界経済の中心となり、時計製造の中心地でもありました

 

1700年代以降の動き



1735年(今から約287年前)、ブランパン(BLANCPAIN)はジャン・ジャック・ブランパンがスイスのヴィルレで創業した世界で最古の歴史と伝統の有るスイスの高級時計メーカーです。
ブランパンは、創業以来、クォーツ時計とは無縁で、機械式時計のみをつくり続けています。「ル・ブラッシュ」コレクションは、ブランパンの時計が誕生したジュウ渓谷にある「ル・ブラッシュ」村の名前が与えられました。
「ヴィルレ」コレクションはブランパンの生誕の地名で、 ブランパンの最もクラシックなこのコレクションは、ダブルステップ・ベゼルのラウンドケース、ローマ数字の文字盤が特徴で、 伝統を守り、初期の美的デザインとなっています。
「レマン」コレクションは西ヨーロッパ最大規模のレマン湖から名付けられまた。
このシリーズは、スポーティーな装いと堅牢な構造が特徴で、文字盤とストラップは現代的なスタイルを表現しています。
「エボリューション」 コレクションはダイナミックで現代的なデザインで、 固定概念にとらわれない発想から誕生し、その斬新な現代性とオリジナリティにより、強烈な個性と特徴があります。
「フィフティ ファゾムス」は 陸・海・空対応の オールラウンド ウォッチです。 そして、「フィフティ ファゾムス」は、1953年にフランス軍の潜水部隊向けダイバーズウォッチを開発したのが起源となっています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/blancpain/


(1716年~1745年)(享保)約29年にわたり、日本では8代将軍の徳川吉宗によって、享保の改革が行われておりました。


1738年 ピエール・ジャケ・ドローによって「ジャケドロー」(JAQUET DROZ)が誕生しました。
ジャケ・ドローは1738年にスイスのラ・ショードフォンに最初の工房を開きました
機械式からくり時計や、芸術性の高い装飾を施した時計を製作し、ルイ16世、マリー・アントワネット、ナポレオン、スペイン国王、イギリス国王、ロシア皇帝、そして中国皇帝といった王侯貴族達を魅了し、ジャケ・ドローの作品は歴史的遺産とされています。
ジャケドローの時計作りに込める熱い情熱は、現代の時計師たちに受け継がれ、手作業による丁寧な時計作りが行われています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/jaquetdroz/



1755年 ジャン・マルク・ヴァシュロンによってヴァシュロン・コンスタンタンが誕生しました。
ヴァシュロン・コンスタンタン(VACHERON CONSTANTIN)は55年にジュネーブに、 ジャン・マルク・ヴァシュロンによって創立された高級腕時計メーカーで、世界三大高級時計メーカーの一 つとして数えられています。
キャリバー1790を搭載したマルタシリーズのマルタ・トゥールビヨンは最高峰の時計芸術と言われています。また、約260年にわたり一貫して守り通してきた3つのDNA、卓越した技術、 個性的そして芸術的デザイン性、丁寧な手仕上げの3点を基盤とし、開発・製造されたヴァシュロン・コンス タンタンのムーブメントは、ハイクォリティの証であるジュネーブシールを多数取得しています。
また、宝石を多用 した宝飾時計の製作でも定評があります。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/vacheron/  



 

1761年、イギリスの時計職人ジョン・ハリソンによって、現在のクロノメーターの基礎となるマリンクロノメータH4(ハリソン第4号)(高精度船舶用時計)を完成させました。(直径13cm 重さ1.4kg)

H-4:直径13cm 重さ1.4kg
出典、https://museum.seiko.co.jp/


1775年、“ブレゲ”(BREGUET)は、アブラアン・ルイ・ブレゲによって誕生しました。
1747年にスイスのニューシャテルで生まれた時計職人のアブラアン・ルイ・ブレゲは、パリのセーヌ河畔のシテ島のケ・ド・ロルロージュ(時計河岸)に初めて自身の工房を構え、時計ブランド“ブレゲ”(BREGUET)を創業しました。

約247年の歴史を持つ老舗時計メーカーです。「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも形容された天才時計師です。
アブラアン・ルイ・ブレゲはブルジョワ界の家柄の娘セシル・マリー・リュイリエと結婚し翌年、最初の子、アントワーヌ・ルイが生まれましたが、二番目、三番目の子供は病気でなくしました。
1780年には最愛の妻セシルも28歳の若さで亡くなり、ブレゲは深い悲しみと心に深い傷を負い、その後、独身をとおし二度と結婚はしませんでした。
ブレゲは1780年、王妃マリーアントワネットの為に日付表示とリピーター付きの初の自動巻き懐中時計「ペルペチュエル」(パペチュアル)を完成させました。
また、初の腕時計は、ナポリ王妃の依頼でブレゲによって1810年に考案されました。
その後、衝撃吸収装置、ブレゲひげゼンマイ、トゥールビヨン機構、スプリットセコンド・クロノグラフなど次々と画期的な機構を発明し続けました。
複雑な機構を持つ時計は芸術の域に達し、これがブレゲの魅力となっています。
ブレゲの時計は、フランス王妃マリーアントワネットやナポレオンに始まり現在活躍する人々まで、それぞれの世界で時代の頂点に立った人々によって何世代も受け継がれてきています。
2006年には「ダブル・トゥールビヨン」が開発され話題となり、高級精密時計の分野で脚光を浴び続けています。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/breguet/


1780年、アブラアン・ルイ・ブレゲは、自動巻き時計を世界で初めて実現しました。
懐中時計の使用者の動きによって、ムーブメントに取り付けられた分銅が上下に振動することで、ぜんまいが自動的に巻上げられ、これにより手での巻上げが不要になり、時計が永久的(ペルペチュエル)に動き続けると考えたものです。
同時にこの時計には、ゼンマイの巻上量を文字盤上に表示する「パワーリザーブ・インジケーター」、そしてスモールセコンドが最初に考案されていました。


1791年ジャン・フランソワ・ボットによってジラール・ぺルゴが設立されました。
ジラールペルゴ(GIRARD PERREGAUX)は、ジャン・フランソワ・ボットがジュネーブに 工房を構え19歳で初の時計を製作したのが出発点となりました。
1867年、コンスタン・ジラールがスリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンを発表し、 パリの万国博覧会で金賞を受賞しました。
1861年、江戸時代にジラール・ペルゴ社創業一族の一人、フランソワ・ペルゴがスイス時計を広める為日本に入国し、 1864年、フランソワ・ペルゴは日本における初のスイス時計正規販売店を横浜で開業、日本に最初に正規輸入されたスイス時計となりました。
1969年に開発した初のスイス製のクウォーツ時計のクウォーツ周波(32.768Hz)は今日の世界規格として広く採用されています。
また、 スリー・ゴールド・ブリッジ付トゥールビヨンを基本にクロノグラフ、ワールドタイマー、パーペチュアルカレンダー、ジャンピングセコンド、 リピーター機構等の複雑機構のムーブメントを次々と開発し、 ジラールペルゴ製のムーブメントは多くの他高級時計ブランドにも使われ 、現在の希少なマニュファクチュールと言われています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/girardperregaux/


1800年代以降の動き

1800年、伊能忠敬が蝦夷地を測量し、1804年には、ロシア使節レザノフが長崎に来航し、通商を要求してきました。

1801年には、アブラアン・ルイ・ブレゲによって「トゥールビヨン」脱進機が発明されました。

1803年、ナポレオン戦争が勃発し、ヴィルレの時計職人等若い男性が全員徴収された為、ブランパンも規模を縮小せざるを得なくなりましたが、時計の製造を中断する事なく、親族で細々と続けられました。

1815年、ナポレオン戦争が終結し、兵役から帰還したジャン・ジャック・ブランパンの孫フレデリック・ルイ・ブランパンにより再興されました。

1815年アブラアン・ルイ・ブレゲは、船の経度を正確に把握する二重香箱方式による高精度のマリン・クロノメーターを開発しました。


1822年 ボヴェが創業しました。後に紫禁城の中国皇帝コレクションの遺品の中に、ボヴェの柱時計と懐中時計が展示されていたことが確認され、かつて中国宮廷に愛された時計として脚光を浴び、ボヴェの歴史的な遺産としての価値は計り知れないものとなっています。
ボヴェ社の製作する時計のうち、1/3はオートクチュールとなっています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/bovet/



1828年 モーザー(H.MOSER)が誕生しました。               モザーは、時計職人一家に育ったヨハン・ハインリッヒ・モーザーが サンンクトペテルブルクに商社(H、モザー社)を設立したのが始まりです。
ロシア市場で成功を収めたモーザーは、スイスのシャウハウゼンでIWCの創業にも力を貸しました。
設立後あと6年で200周年になりますが、現在では少なくなった独立した家族経営で、すべての時計を手作業で製造し、自社一貫製造の体制は変わることなくブランドの価値を高めています。
近年、新生H.モーザーの時計が発表され、奇抜な時計ブームの中、 シンプルな美しさで注目を集めております。
また、ムーブメント設計面では、伝統技術に 留まることなく、新しいシステムの開発にも積極的に取り組みました。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/hmoser/


1830年 には、フレデリック・ルイの息子のフレデリック・エミールが社名を「時計製造所エミール・ブランパン「Fabrique d’horlogerie Emile Blancpain」として会社を引き継ぎました。

1830年 ボーム&メルシエ(BAUME & MERCIER)が誕生しました。ボーム&メルシエは、スイスのジュラで時計の下請をしていたボーム家のボーム兄弟が時計工房を開いたことによって始まりました。
「何も見のがさない。最も優れた品質の時計だけを作る」を方針とし、欧州の大都市で成功をおさめました。
1920年に、 創立者の孫ウィリアム・ボームと国際感覚豊かで類い稀な才能をもつポール・メルシーの二人によりボーム&メルシエを設立。 時代ごとのエレガンスを表現したボーム&メルシエの作品は数々の賞を受け、時計愛好家を魅了しています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/baumeandmercier/



1832年 ロンジン(LONGINES)が誕生しました。
ロンジンは、創業者のオーギュスト・アガシがスイスの小さな町サン・ティミエでレギュル・ジュンヌ&アガシを設立し、時計部品流通業者として働き始めたことで始まりました。
スポーツ時計のパイオニアとして知られるほか、1869年から製造されたロンジンの初期の懐中時計を西郷隆盛が所持していたと言われています。
写真撮影機など欧米技術に造詣の深かった藩主の島津忠義から明治維新の功績を称えられ金無垢懐中時計が贈られた日本最古の同社モデルと伝えられています。
生産ラインは、高級機械式腕時計から、クオーツ時計まで幅広く、スポーツ界では大会公式記録計測ウォッチとしての契約も数多く、その地位は確固たるものとなっています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/longines/


1833年  アントワーヌ・ルクルトによってジャガールクル(JAEGER LECOULTRE)が誕生しました。
ジャガールクルトは、アントワーヌ・ルクルトがスイスのジュウ湖の南端にあるル・サンティエに時計製造会社を 創立したのが始まりです。
その後、2つの軸の上を回転する球体トゥールビヨンの「ジャイロ・トゥールビヨン1」、一つのムーブメントに対し3つのダイヤルを持つ 「レベルソ・グランド・コンプリカシオン・トリプティック」、ビッグベンの全メロディーを奏でる「グラン・ソヌリ」など最初のモデルとなる数々の傑作を生み出し、 現在もジャガールクルトの時計製造の偉大なる伝統が息づいています。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/jaegerlecoultre/



1839年 アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとフランソワ・チャペックの2人の創業者よって「パテック,チャペック社」が設立されました。
1851年「パテック,チャペック社」から「パテックフィリップ社」に社名を改めました。
パテックフィリップ(PATEK PHILIPPE)の時計は、親から子へ、という考えの元に作られています。
1839年の創業以来、世界最高の時計をつくる理想を追求し続け、 世界中の愛好家が認める世界最高の水準を誇るブランドとなり得たのも、代々受け継がれる時計を、というパテックフィリップのコンセプトに基づいたものです。
創業以来、パテックでは、メーカーのみでメンテナンスを受けている全ての時計修理が可能です。
このサービス体制があるからこそ、「親から子へ」受け継がれ、価値を失わないものとして世界中に認められているのです。
又、2009年頃から、パテックでは機械式ムーブメントにおける極めて厳しいジュネーブシールの基準をさらに上回る自社規準を定め、ムーブメントにパテックフィリップシールが刻印されるようになりました。   https://www.lexson.co.jp/shopbrand/patek/         




1845年 グラスヒュッテオリジナル(GLASHUTTE ORIGINAL)は、フェルデナンド・アドルフ・ランゲにより旧東ドイツ圏のドイツ機械式時計の聖地、グラスヒュッテに創業しました。
2012年に開発された パーペチュアルカレンダーが組み込まれた世界初のワールドトラベラーウォッチ「グランド・コスモポリト・トゥールビヨン」には、 1920年に開発された「フライング・トゥールビヨン」が搭載されています。
また、特徴的なアシメトリーの文字盤を 持つグラスヒュッテオリジナルの代表的なパノコレクションは、ドイツの優れた伝統技術と高い芸術性の融合が生みだしたもので、 165年以上ものグラスヒュッテオリジナルの機械式時計製作技術の伝統を受け継いでいます。    https://www.lexson.co.jp/shopbrand/glashutte/



1845年 ランゲ&ゾーネ (A.LANGE & SOHNE)はフェルディナント・アドルフ・ランゲ が旧東ドイツのザクセン州グラスヒュッテに会社を興し、ドイツ皇族をも顧客にもつ地位を確立しながらも、 ランゲ工場が戦争の被害を受け一時姿を消しましたが、1990年東西ドイツ統一後、A.ランゲの曾孫ウォルター・ランゲにより、 ランゲ&ゾーネとして再興されました。
1994年復活後初の新モデルとして、ランゲ&ゾーネ (A.LANGE & SOHNE) の時計製造技術の粋を集めて開発されたランゲ1、 トゥールビヨン・プール・ル・メリット、サクソニア、アーケードの4モデルが発表され、伝説が再び時計として蘇りました。
フェルディナント・アドルフ・ランゲ は ヨーロッパで初めて時計の製作にメートル法を導入しました。
ランゲ&ゾーネ(A.LANGE & SOHNE)は、ドイツ高級機械式時計の最高峰メーカーと言われています。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/alange/ 


        

1848年 オメガ(OMEGA)の歴史は、1848年スイスのラ・ショー・ド・フォンにルイ・ブランが設立した時計工房から始まります。
1892年に、世界で初めて 現在時刻を鐘の音で知らせるミニッツリピーター機能付き腕時計を完成させ、世界に衝撃を与え世界で高い評価を得ました。
1932年には、ロサンゼルス・オリンピックの公式時計となる防水時計「シーマスター」を発表以来、数々の大会で公式時計を担当し、特にオリンピック時計には大きな役割を果たしてきた。

また、1965年にはNASAのテストに「オメガ・スピードマスター」が唯一選出され、公式クロノグラフとなる等、オメガの歴史は精度追及の歴史といわれてます。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/omega/




1854年(安政元年)ペリーが再来航し日米和親条約を締結し215年間続いた鎖国が終わりました。


1860年  パネライ(PANERAI)は、ジョバンニ・パネライが1860年、イタリアのフィレンツェに 時計店を開業したのが始まりです。
この時計店は、販売や工房以外に フィレンツェ初の時計製造学校としての役割も担ってました。
その後、イタリア海軍御用達時計メーカーとなったパネライはラジオミール、ルミノールといった夜光塗料や蛍光塗料にで視認性を高めた商品を軍用に製作。
1972年、 社名がそれまでの「G. パネライ&フィグリオ(G. Panerai & Figlio)」から 変更され、 「オフィチーネ パネライ(OFFICINE PANERAI)」 が正式なブランド名となりました。
イタリア海軍御用達時計専門のメーカー であったオフィチーネ パネライは、 1992年に 世界的に深刻な経済・政治危機への対策として 、一般向け腕時計市場への参入 を図ります。
現代では、巨大資本グループのリシュモングループ傘下でオーバーサイズウォッチの人気トレンドに乗り世界中に多くのパネライコレクターから 高い人気を博しています。   https://www.lexson.co.jp/shopbrand/panerai/






1860年 日本では、大老井伊直弼が桜田門外で水戸浪士ら総勢18人による襲撃で暗殺された「桜田門外の変」がありました。

1860年  ショパール(CHOPARD)は、ルイ・ユリス・ショパール(Louis-Ulysse Chopard )がスイスのジュラ・ベルノワに設立しました。 ジュエリーウォッチ分野でも広くショパールの名を知られ、ハリウッド界をはじめ、世界中の著名人たちをも顧客に持っています。
1976年に クルクルと揺れ動く ムービングダイヤで有名な 「ハッピー・ダイヤモンド」シリーズ。
1988年、毎年イタリアで開催される伝説的なクラシックカーラリー、ミッレ ミリアレースとのパートナーシップを実現し ミッレミリアの名を冠した時計 「ミッレミリア」コレクションを発表しました。
1993年には「ハッピースポーツ」コレクション、
1997年、創業者の名前にちなんだ自社製ムーブメント搭載「L.U.C」(ルイ-ユリス・ショパール)シリーズなどヒット作が多く、幅広い年代層に知名度があり支持を得ています。 また、2011年には “ジュネーブ・シール”の刻印とカリテフルリエ財団の認証を獲得した世界最初のウォッチ「L.U.Cトリプル・サーティフィケーション・トゥールビヨン」を発表しました。

https://www.lexson.co.jp/shopbrand/chopard/



1861年  ユンハンス(JUNGHANS) は、 エアハルト・ユンハンスが彼の義兄弟と共に時 計部品工場「Zeller&Junghans 社」を創業します。
1866年、 自社製の時計が初めて誕生します。
1903年ユンハンスは3,000 人の従業員を擁し、年間 300 万個のタイムピースを製造する世界最大の時計メーカーになります。
1930 年代、ユンハンスは自社で構築・製造したムーブメントを腕時計に使用し始めます。
1951 年にはドイツ最大のクロノメーターメーカーになりました。
さらに 1956 年にはその生産数は世界第3位となり、ドイツ時計産業の信頼できる精密機器として世界的に高い評価を受けるようになりました。
会社創業者の息子で偉大な発明家であったアーサー・ユンハンスの偉業は今や伝説となっています。
アーサー・ユンハンスは近代テクノロジーと伝統的な時計作りの技工と融合に彼の天賦の才を発揮しました。
つまり、当時は高価であり、一部の富裕層しか所有できなかった機械式時計を魅力的な価格で売り出し、 一般大衆にもその所有が可能となったのです。
そして会社は著しい発展を遂げ1903年には世界最大の時計メーカーになりました。
開発と精度の追求がユンハンスの成功の秘訣です。

https://www.lexson.co.jp/shopbrand/junghans/




1865年、 ゼニスは、 ジャルジュ・F・ジャコによりスイスのル・ロックルに創業されました。
ロゴに星印を持つゼニス(ZENITH)というブランド名は、天空の頂点を意味しています。
ゼニスが取得した特許は300を超え、 開発された600を超える様々なムーブメントは、培われてきたゼニスの高い専門技術力の証明となっています。
クロノメーターや 精密機械の分野では2,333の受賞記録を達成しています。
また、クロノグラフは、世界初の一体型自動巻きムーブメント及び 毎時36,000回という驚異的な振動数を誇り、1/10秒単位の高い精度を実現しました。
特にトゥールビヨンとエルプリメロキャリバーの 斬新な組み合わせによって生まれた「キャプテン・トゥールビヨン」はゼニスの高度な技術を証明しています。
  >毎時36,000回のハイビートはこちらでお聞きいただけます。

1970年代のクォーツショックによりゼニスの機械式時計作りが危うくなった際、 責任者シャルル・ベルモは 「エル・プリメロ」の生産を中止するという決定を下した 経営陣に逆らい、工房のエルプリメロに関わる道具や資料を屋根裏部屋に隠し、1984年の製造再開に役立てたという有名な話があり、彼の功績を讃えた限定モデルなどもあります。

ゼニスの誇る名機、エルプリメロは 毎時36,000振動。ぜひ時計に耳をあてて鼓動を聞いてみてください。

ゼニスは他ブランドにもエルプリメロを供給していますが、そのモデルは一目置かれる存在になるほどです。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/zenith/


1868年 「IWC」が誕生しました。 
IWCは、アメリカ人のFAジョーンズにより、スイス時計職人のH・モーザーとともにドイツ気質の生きるスイスの町 シャウハウゼンに1868年に設立されました。
1939年ポケットウォッチのムーブメントを使用した高精度の「ポルトギーゼ」が誕生しました。
1948年、耐磁性を備えたパイロットウォッチ「Mark XI」が登場しました。
1954年「インジニア」が登場。 完璧な技術の追求はIWCの哲学の一つといわれています。
IWCの群を抜く技術力、質実剛健な時計づくりは世代を継がれ、 幅広いIWC愛好家をもつ理由にほかならない。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/iwc/


1868年(明治1):西郷隆盛と勝海舟が会見し、江戸開城を決めました。
明治新政府が新たな政治の基本方針をの五箇条の御誓文 が、明治天皇が神に誓うという形で出されました。

1872年(明治4年)鎖国も終わり太陰暦から太陽歴に変わるとともに時刻の表し方も「不定時法」から欧米で採用している「定時法」に変わりました。
これにより和時計は終焉を迎え、時計産業への積極的な技術導入が図られました。また、欧米等からの時計生産技術の導入が積極的に図られました。


1874年 ピアジェ(PIAGET)は、ジョルジュ・エドワール・ピアジェにより、スイスのジュラ地方に創立されました。
ピアジェはその美にふさわしいラインの高級ジュエリーウォッチも数多く送り出してきました。
1957年、 ピアジェ家の3代目、ヴァランタン・ピアジェによって  厚さわずか2mmの手巻き極薄ムーブメント「 キャリバー9P」を発表、更に、1960年には厚さわずか 2.3mmの世界最薄自動巻きムーブメント「キャリバー12P」を発表し、 薄型ムーブメントの分野の第一人者として 時計製造の世界に確かな足跡を残します。
更に2002年には、世界で最も薄い角型自社製トゥールビヨンムーブメント(厚さ3.5mm)、「キャリバー600P」を発表するなど、数々の複雑機構の極薄型ムーブメントを開発し 極薄ムーブメントはピアジェの代名詞のひとつとなっています。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/piaget/




1875年、 オーデマピゲ(AUDEMARS PIGUET))は、 ジュール=ルイ・オーデマと、エドワール=オーギュスト・ピゲにより、ル・ブラッシュを本拠地に創業されました。
パテックフィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンと共に世界三大高級時計メーカーの一つとして数えられています。 代表的なコレクション、ロイヤルオークは高級時計製作の常識を覆し、世界初のステンレス製プレステージスポーツウォッチとして 1972年に発表され、その後ロイヤルオーク・オフショアコレクションやレディー・ロイヤルオークが誕生し、伝説となった八角形の時計のストーリーの始まりとなっています。
また、ローマのコロシアムに着想を得たオーバル型ケースのミレネリーコレクション等、レディスラインでは女性の心を魅了しています。
その他、手巻きトゥールビヨン、女性用のミニッツリピーターなど、オーデマピゲは記録的な数の「世界初」を生み出し、複雑機構搭載機械式高級時計の歴史における金字塔と言われています。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/audemars/





1881年(明治14年)明治時代になり、日本では腕時計が使い始められ、服部時計店(現セイコーホールディングス)が中古時計を買い取り修理して売り出す事業を開始しました。





1884年 ギリシャ語で「時間」を意味するブランド名のエドックスが誕生ました。
エドックスの歴史は、優秀な時計職人クリスチャン・リュフリ=フルーリーが、自身の妻の誕生日プレゼントとして懐中時計を製作して贈ったことから始まりました。
ねじ込み式ではない防水機能構造のリュウズ、世界初のワールドタイムウォッチ、そしてデイト付きの世界最薄ムーブメントなど、数々の革新的な開発を成し遂げ、スイスで最も近代的と評価された巨大な工場を構えています。
近年ではカーレース、ボートレースなどの公式タイムキーパーを努め、スポーティでスタイリッシュなコラボモデルを次々と発表しています。
巨大資本下に属さない独立系の時計メーカーとして着実に歴史を刻んでいるブランドです。
  https://www.lexson.co.jp/shop/shopbrand.html



1892年(明治25年)精工舎(現セイコーホールディングス)が設立され、セイコーの時計作りの歴史の幕開けとなる掛時計の製造が開始されました。

時計製造工場として「精工舎」を設立。掛時計の製造が始まる。
出典、https://www.seikowatches.com/


1895年 セイコーが初めての懐中時計「タイムキーパー」を完成させました。

初めての懐中時計「タイムキーパー」の製造を開始。

出典、https://www.seikowatches.com/



1913年、セイコーは国産初となる腕時計「ローレル」を完成させました。
当時の技術では、小さい腕時計の製造は困難を極め、懐中時計の生産が1日200個程度だったのに対し、ローレルは1日30個程度の生産が限度だったと言われてています。

国産初の腕時計「ローレル」の製造を開始。

出典、https://www.seikowatches.com/



1918年には、現在のシチズン時計の前身「尚工舎時計研究所」が設立されました。

1924年(大正13年) 「尚工舎時計研究所」は、シチズンの第一号製品の時計となる懐中時計(手巻時計)を完成させました。
時計の名前は当時の親交のあった東京市長の後藤市長によって、永く広く市民に愛されるように、市民を意味する「CITIZEN」と名付けられました。                             [機械式(手巻)5ビート]

第一号の懐中時計「CITIZEN」
出典、https://citizen.jp/locus/product/001.html


1925年 ブランパンは超薄型手巻きムーブメントを完成させました。
この時計は1911年にウルトラスリム手巻きムーブメントの開発に着手し、厚さは僅か1,73mmで、組み立てには高い技術が必要とされ14年間の時を経て完成させました。

出典、https://www.plus-ultra.ch/en/blog/2021-02-18/frederic-piguet-caliber-21.html





1925年 エポス(EPOS)社が設立されました。
ジェームス・オーバートは、機械式時計発祥の地として知られる、スイスのジュウ渓谷のル・ブランシェに彼自身のエポス時計工場を設立しました。
クロノグラグやミニッツリピーターの技術的な発展に研究を重ね、エポスは複雑時計のスペシャリストとして名声を得ました。
エポスの現在は伝統的価値を遵守し、高品質を維持しながら本格機械式時計の発展させ、エポスは世界中のコレクターや愛好家に大いに絶賛され、愛用されているブランドです。https://www.lexson.co.jp/shopbrand/epos/






1930年(昭和5年)シチズン時計株式会社が創立されました。
「尚工舎時計研究所」を母体とし、シチズン社第一号製品の時計と同じ名称の「シチズンシチズン時計株式会社」として誕生しました。




1930年、ブランパンは世界初の自動巻レディスウォッチ「ロールス」を製作しました。
「ロールス」は極めてコンパクトでほっそりとした女性らしいデザインとなっています。この形に合わせて、機構を巻き上げるスライディングシステムと、15石の自動巻ムーブメントを新たにデザインし搭載しました。
現在では非常に人気が高いコレクターズウォッチとなっています。

Roll Blancpain vintage watch
出典、https://www.blancpain.com/
Blancpain - Betty Fiechter
ベティ・フィスター出典、https://www.blancpain.com/ja/

                    
1932年 、ブランパン家最後の当主フレデリック=エミール(フレデリック・エミ
ールと同名の子孫)の死去後、フレデリック・エミールに生産と営業を任され彼の右腕として活躍していた、ベティ・フィスターが当時のスイスの法規制に従い社名を「Rayville SA」(レイヴィルS.A./ブランパンの後継会社)に変更し、1933年、彼女の同僚だったアンドレ・レアルと共に「レイヴィルS.A.、」の経営権を取得しました。 
ベティ・フィスターが女性で初めて高級時計メーカーの共同経営者なり、ブランパンにもたらした彼女の進歩的で先見性のある考え方は、ブランパンにとってなくてはならない存在となり、その後ブランパンの歴史上の重要な人物としてその名が刻まれることとなりました。

1953年「Rayville SA」は 、フランス海軍の依頼を受け、逆回転防止機構の付いた片方向回転ベゼルと100mの防水を能力を備えたダイバーズウォッチ「フィフティ・ファゾムス」を販売しました。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: A-4_Tutaya_Official_Website_Fifty_1000x500.jpg


                   

1956年 シチズン は、シチズン時計の前身「尚工舎時計研究所」が国産で初の耐震装置パラショックを搭載した「パラショック」を発表しました。
その優秀さを実証する為、「パラショック」の投下実演を大阪御堂筋のデパート前で、時計を地上30m上空のヘリコプターから投下し、技術の優秀さを実証しました。
投下実演はその後も各地で実施されました。
[機械式(手巻)本中三針方式/耐震装置付き/簡易防水外装]

出典、https://citizen.jp/locus/product/011.html



1956年 ブランパンは、当時最小の丸型ムーブメントを搭載した「レディバード」を発表しました。
当時の流行に合わせて直径はわずか11.85mmの世界最小の丸型機械式ムーブメント、キャリバーR550を誕生させました。
パワーリザーブは40時間以上で、当時としては類稀な長さでした。

Blancpain 3 graces - ladybird
出典、https://www.blancpain.com/




1956年 セイコーは、国産初となる自動巻腕時計「オートマチック」発売しました。
海外では1940年代に、いくつかのメーカーから自動巻腕時計が商品化され、自動巻時代に入っていましたが、日本において初めて自動巻腕時計を商品化したのはセイコーです。

国産初の自動巻腕時計「オートマチック」発売。

出典、https://www.seikowatches.com/



1959年シチズン時計の前身「尚工舎時計研究所」が国産初の完全防水時計(パラウォーター)を発表しました。
現在の防水時計の原型であるガラス縁、裏ぶた、胴の喰い付き部分及びリューズ部分にOリングと呼ばれる特殊パッキングを使用する事により防水を実現しました。
腕時計にとって「ゴミ」と「水」は大敵でしたが、「パラウォーター」の登場により、これらの問題が一気に解決され、海などで時計を着けて泳ぐことが流行しました

[パラウォーター/機械式(手巻)変則中三針方式]

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出典、https://citizen.jp/locus/product/016.html



1950年代後半から、スイスでは時計の精度を競う「天文台コンクール」において、各社が時計の高精度化にしのぎを削り始めました。
精度向上のために、テンプの振動数を高める必要がありますが、それには強い動力ゼンマイが必要になります。
また、各歯車の回転数も早くなるため、部品の摩耗が進む原因にもなります。
そこで、強力な動力ゼンマイや耐久性の高いひげゼンマイ、素早い動きでも簡単に飛び散ってしまわない潤滑油、小さな力で滑らかに駆動する精度の高い部品などが開発されていきました。
そして60年代に入り、8振動時計が市販品としても広まります。鉄道の発達や工場生産管理高度化により、精度競争は更に激しさを増していきました。


1960年 シチズンは国産初の視覚障がい者向け腕時計(の「シチズン シャイン」発売しました。発売を記念して名古屋盲人学校への寄贈を行ないました。
[風防開閉式/機械式(手巻)二針式)]

出典、https://citizen.jp/locus/product/019.html

1963年 セイコーは、自動巻き腕時計「スポーツマチック ファイブ」を発売しました。自動巻き、防水、4時位置に隠されたリューズ等、セイコー独自の高機能とデザインが注目され、爆発的なヒットとなり、一世を風靡しました。

セイコー独自の高機能とデザインが一世を風靡した「スポーツマチック ファイブ」を発売。
出典、https://www.seikowatches.com/jp-ja/special/heritage/


1967年(昭和42年)スイスと日本において同時にクウォーツ時計の試作モデルが完成します。



1967年 アーミン・シュトローム (ARMIN STROM)は、Armin Strom氏により設立されました。
時計業界では、アーミン・シュトローム氏は、 最高レベルのスケルトンの代名詞と言われるほどの実力者です。
1990年に、世界最小の女性用手彫り時計を​​作成した後、 ギネス世界記録を獲得するなど、スケルトナイザーとしてその名を世に知らしめました。
2008年には、サージュ・ミシェル氏 とクロード・グライスラー氏により、スイスのビールに自社工房が設立され、オープンワークの美しさを全面に押し出し、 ファッショナブルな・スケルトンウォッチを次々と世に送り出しています。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/arminstrom/



1969年(昭和44年)には、SĒIKO社から世界初のクウォーツ腕時計「クオーツ・アストロン」が商品化されました。
時計本来の特性である高精度化を追求し、日差0.2 秒前後という機械式時計の100 倍近い精度を有するウオッチとして市場に出されました。
この商品化を可能にした電子技術の応用は、日本のみならず世界の時計産業に大きな変革をもたらしました。
競争相手国であるスイスが、クオーツ腕時計の将来予測を誤ったための電子化への対応の立遅れ、スイスフランの高騰などにより、低迷・後退を余儀なくされました。

     [セイコークオーツアストロン35SQ]

セイコークオーツアストロン35SQ
出典、https://museum.seiko.co.jp/knowledge/Quartz01/


1970年、バーゼルフェアで、CEH社のラドー、ブローバ、ユニバーサル、オメガ等数社が、アナログクオーツ時計を出展しました。

1973(昭和48)年、SEIKOは、LCD(液晶ディスプレイ)表示によって世界で初めて時・分・秒の6桁表示を実現したデジタルウオッチを商品化します。



1970年代後半、クォーツの波に押され又、同家の断絶や状態的な経営悪化により時計製造事業を存続出来ず、すべての全資産を売却して従業員も解雇し、ブランパンは休眠状態となりました。
クォーツムーブメントの開発は、巨額な費用を要したため、当時のブランパンの経営状態では参画が難しかったのが実情とも言われています。




1983年、ジャン・クロード・ビバー氏が、小型で薄型のムーブメントの製造を得意とするムーブメント・メーカーのフレデリック・ピゲ社と共に、機械式時計復興の志をもとに、休眠状態にあったブランパンを買収しました。ブランパンの商標は僅か2万1500フラン(現在の日本円で約300万円前後)で買収されたようです。


1988年 、ヴィスコンティ(VISCONTI)は、ダンテ・デル・ベッキオによって設立されました。
筆記用具の代名詞として知られているイタリア・フィレンツェのブランドです。
イタリアンテイストの洗練されたデザインは、愛好家の審美眼にかなう筆記具の中でも最高峰の美しさを誇ります。
また、ヴィスコンティのペンは、世界のリーダーが集うサミットの署名に採用されたり、G8の記念品として贈呈されるなど、 数々の歴史的に記念すべきシーンに立ち会うアイテムとして選ばれ、カリスマ性のあるブランドしての存在を確立しています。
ヴィスコンティの手掛ける時計は非常に立体的です。自由な発想が飛び交う社屋から生まれる斬新な色使いとデザインは、愛好家を楽しませてくれます。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/visconti/


複雑機構の時計ブランドとして復興したブランパンは、1991年には、世界で初めて、機械式時計の6つの基本機能(ウルトラスリム自動巻き、ムーンフェイズ、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド・クロノグラフ、トゥールビヨン、ミニッツリピーター、)をすべて直径30mm、厚さ11mmの中に納めたムーブメント「1735」を完成させ30個限定で販売されました。
機械式時計復興を目指した企業としての規模は小さいブランパンですが、ブランパン第一世代の完成を意味しています。


小規模(十数人の時計師)な企業の為、イレギュラーなオーダーへの対応が難しく、納期3ヶ月の予定が1ヶ月づつ延長され6ヶ月以上待たされるケースが日常となっていました。
また、防水式のはずが防水の効いていない状態で完成品として納品される等、出来上がりの品質に疑問を持たざるを得ない時期が続き、ブランパンとしてのイメージが崩れ掛けたこともありました。

ブランパンは現存する腕時計メーカーとしては、同一の法人格として継承され続けたブランドという条件においては、287年前に設立された世界で最古の時計メーカーで世界最古のブランドですが、1983年、ジャン・クロード・ビバー氏が、機械式時計復興の志をもとに、小型で薄型のムーブメントの製造を得意とするムーブメント・メーカーのフレデリック・ピゲ社と共に、しばらくの間休眠状態にあったブランパンの商標を買い取り再興した時が、現在のブランパンの始まりであり、実質的には1983年創業の機械式時計に拘った新進気鋭のメーカーと言っても過言ではありません。


1992年、ブランパンは、6,000万フラン(現在の日本円で約78億円前後)でスウォッチグループに売却されました。
ジャン・クロード・ビバー氏 はこの後、死に体同然の状態にあったウブロ(HUBLOT)を人気ブランドへと導いてきます。





1996年、ベダ&カンパニー(BEDAT & CO GENEVE)は、ベダ母子によって、ジュネーブに創設されました。
母のシモーヌは、スイスの時計業界に長いシモーヌ・ベダ。 ベダ&カンパニーでは独自規格のA.O.S.Cに従い品質管理を行い、また、ラッキーナンバーを用いた親しみやすいモデル名を採用。 都会的なデザインの新鋭ブランドとして瞬く間に名を広め、特にファッション業界から多くの視線が注がれています。

https://www.lexson.co.jp/shopbrand/schaumburg/





1998年 シャウボーグ(SCHAUMBURG)はドイツのリンテルンという小さな町でフランク・ディルバコフスキーの手によって誕生しました。
創業者のフランク・ディルバコフスキーは、青年実業家として半導体の製造会社を営む
熱狂的な時計愛好家で、自身の機械式時計ブランドを立ち上げる夢を叶えました。
シャウボーグは、大量生産でコストダウンを図る商業主義的な生産とは 一線を画し、職人の丹念な手作業により1本1本情熱を込めて仕上げられています。
職人の手作業にこだわり製作される時計は年間僅か1800本程です。
シャウボーグは、ケース仕上げからムーブメントポリッシュ、小さなスクリューのコーティングに至るまで非常に完成度が 高く、真の価値を持つ機械式時計として、そしてシャウボーグ地方の隠れた逸品として、時計愛好家の間で高い評価を得ています。

https://www.lexson.co.jp/shopbrand/schaumburg/






2005年クストス(Cvstos)は、2005年にスイス、ジュネーブで創業しました。
ラテン語で「守護神」(タイムキーパー)を意味するクストス。
フランクミュラーグループのもと、4つの基本的価値観(性能・効率・優雅・貴重)を基盤とし、クストス・テクノロジーを築き上げてきました。
クストスのもつ、未来志向の不思議な魅力は、創造力に溢れ、スイスの伝統的な高級
時計の支持者をもクストスの出現に関心を示し、大きな反響を呼びました。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/cvstos/



1997年 、ウルベルク(URWERK)は、時計師フェリックス・バウムガルトナーとデザイナーのマーティン・フライにより設立された新鋭ブランドです。
ハリーウィンストンのオーパス5の設計を手掛けたことでウルベルクの名を知られるようになります。
ウルベルクのオリジナリティ溢れるフォルムやサテライト・アワーと呼ばれる天体の動きのような独創的な時間表示は 時計業界に新風を巻き起こし、ハイテク機械式時計ブランドとしての地位を固めました。

https://www.lexson.co.jp/shopbrand/urwerk/





1999年 ユーボート(U-BOAT)が誕生しました。イタリア共和国ルッカに本社を置くユーボート(U-BOAT)は、1942年イタリアで創業されたオフィス・フォンタナ社がはじまりです。
第二次大戦でドイツ軍が使用した潜水艦「U-BOAT」の乗組員のために耐水性と視認性に優れた腕時計の製作を依頼されたましたが、 戦局の悪化のために日の目を見ることは有りませんでした。
そのデッサンをもとに、1999年オフィス・フォンタナ社創立者の孫、イタロ・フォンタナによってユーボート(U-BOAT)が生まれました。
イタリアのクラフトマンシップとスイスのムーブメントが融合し、大型の竜頭を備えたメカニカルな外観が特徴
で、現代感覚溢れるミリタリーウォッチとして人気ブランドに成長しました。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/uboat/





2001年 テッラ・チエロ・マーレ(TERRA CIELO MARE)は、イタリア・ミラノで高級時計ビジネスに30年以上携わってきた、エミリオ・フォンタナと、ジョルジオ・ラトゥアーダ によるLA.FO.CE社は、大地・空・海この3要素をテーマとするコレクションを掲げ、TERRA CIELO MARE(テッラ・チエロ・マーレ)をに設立しました。
スイス製ムーブメント の他はすべてイタリア職人が丹念に作り上げるテッラ・チエロ・マーレのタイムピースは、テッラ・コレクション、チエロ・コレクション、マーレ・コレクションの 3レンジから構成されました。
https://www.lexson.co.jp/shopbrand/terracielomare/



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